転勤族の家庭に育った自分は、各地の小学校を転々とした後
都内のある区立中学校に、新入生として入学した。
転勤族だったことは以前の記事にも書いた通り。
その続編みたいなものかな。
3月の春休みに東京に引っ越して来てすぐの4月入学。
まだ前の土地の方言が抜け切れていない。
当然だけどクラスに顔見知りはひとりもいない。
クラスのほとんどが、地元の小学校からそのまま上がって来ているからね。
そんな中で自分は、よその土地から来た流れ者。
見方によっては小学校7年生のクラスに
ポツンと地方からの転校生が入って来たって感じ。
でもこれは今まで繰り返し経験してきた
小学校転校の時と同じ状況だから慣れっ子だった。
ところがそのクラスの転校生は自分だけではなかった。
別にもうひとり、ちょっと変わった転校生がいたんだ。
その二人目の転校生が今回のお話しの主役。
とにかくその転校生 (彼) がやって来た場所が凄かった。
彼が育ったのは、日本から遠く離れた地球の裏側。
それもアメリカやヨーロッパとかではなく、なんとアフリカのケニアだったんだ。
その当時自分がケニアに抱いていたイメージは
マサイ族と象🐘やライオン🦁が同居する野生の王国。
そんなケニアからやって来た転校生。
正直凄いのが来たなって、その時は思ったよ。
イギリスの植民地だったケニアの公用語は英語とスワヒリ語。
そこで育った彼は、頭の中が日本語と英語がほぼ半々という
当時の日本ではまだ珍しかった完全なバイリンガルだった。
だから彼が英語の授業中に教科書をすらすらと朗読すると
クラス中がその時だけ外国になり、みんなが静まり返っちゃった。
その時の英語の先生の困ったような泣き出しそうな笑顔。
今でもはっきり思い出すよ。
そりゃそうだよね。
先生からしたら英国人相手に英語教えるようなものだものね。
きっと複雑な気分さ。
彼のあだ名は、当然ながら
"ケニア"
ベタやね🤣
ボサボサ頭に、いつも背中からダラ〜んとはみ出している白シャツ。
踵がつぶれた靴と左右違う靴下。ボロボロのカバン。
まるで人目をぜんぜん気にしない風なそのいで立ち。
まさに野生児さながら。
あと字がめちゃくちゃ下手くそだったなぁ🤣
それでいて成績は常に学年のトップクラス。
何から何まで普通じゃなかった。
でもふたりとも同じ転校生同士だった事
そして偶然にも双方の親の仕事が同じ業種だったこともあり
お互いストレンジャー同士の共感もあって意気投合。
いつの間にかすごく仲良くなっていた。
実は自分がタイプライターを打つようになったキッカケのひとつに彼の影響がある。
彼がクラスにオリベッティの英文タイブライターを持ち込んだんだ。
彼は筆記用具代わりにそれを使っていた。
それを見ていて、自分もあんな風にカタカタカタって打ってみたいなって思ったんだ。
それ以外にもボーダレスな彼の考え方に感化されたものはとても多くて
その後の自分の生き方にも少なからず影響している。
今、手元に当時のクラスの班メンバーで書いていた班日記がある。
2年4組1班「学習計画 No.1」と題されたその交換日記に
メンバー女子が描いた、自分とケニア君の絵が残っている。
振り向いたケニア君 (映画エクソシストパロディ風)
今から50年前にクラスメイトが描いた
50年前の自分らの絵を見る👀✨
(左:ケニア君 右:自分)
なんだかタイムカプセルを開けちゃったみたいな気分だよ。
(出典:2年4組1班 交換日記より)