自分の父は昭和の高度経済成長時代のど真ん中を生きた会社員だった。
そして筋金入りの転勤族でもあった。
小学校から帰宅すると家中に漂うガムテープの匂い。積み重なったダンボール箱。
それは悲しい日が来た事を意味していた。
仲良くなったクラスメイトや初恋だった女の子とお別れする時。
幼稚園と小学校だけで8回引っ越しをしている。
ほぼ毎年転校しているようなものだ。
このことはおそらく自分の人格形成にも大きく影響していると思う。
学期のはじまり。
教室の黒板に自分の名前が書かれている。
担任の先生が
「今日から一緒に勉強することになった○○君です。みんなよろしくね。」
初めて会うクラスメイトたち。
顔と名前を覚えるだけでも大変だ。
また最初からやり直しだ。
何度も転校を繰り返すと、小学校6年間で出会う人の総数は普通の小学生との比では無いくらいに多くなる。
しかも早く仲良くならないといけない、という焦りにも似た気持ちもある。
なぜなら1年後にはまた転校するかもしれないからだ。
新しい出会いがある度に、まず最初に人を細かく観察する癖がついた。
転校を繰り返してたくさんの人と出会ったせいで、はじめて会う人でも過去に必ず似たようなタイプの人がクラスに1人はいた。
だからその時の経験を思い出し、両者を重ね合わせて見るようになった。
そうやってなるべく早く親近感を作り出そうとしていた。
そして新しいクラスに馴染むまでは、あまり口を開かず笑顔でうなずくだけにした。
しゃべらなかった理由は、方言だ。
その土地の方言に慣れるまでは、下手にしゃべるとよそ者感が丸出しになる。
それは出来れば避けたいと子供心に思っていた。
それも転校を繰り返して覚えた生きるすべだった。
そんな幼少期を過ごした自分は、成人してからも職場やプロジェクトを転々とする人生を歩む事になる。
新しい環境にすぐに溶け込むズルさだけは、いまでも健在だけどね😊
ただ
今この歳になって思う、叶わぬ望み。
幼なじみが欲しかった。
自分には幼稚園や小学校時代を一緒に語り合える幼なじみが居ない。
そりゃそうさ。馴染むより早くに消えて居なくなる存在だったんだから。